夏の京都・祇園祭り

7月に入って京都は祇園祭の季節となりました
祇園祭は八坂神社の祭で、大阪の天神祭・東京の神田祭とともに、日本三大祭のひとつに上げられており、その歴史の長いこと、またその豪華さ、祭事が1ヶ月にわたる大規模なものであることで広く知られています。 およそ1100年前、疫病退散を祈願、日本全国の国の数の鉾66本をつくらせ、その崇りを沈めるために祇園御霊会を行ったのが始まりと伝えられています
 
祇園祭

 平安時代のはじめ頃、都に疫病が流行して、多くの人々が死に絶えました。 近年、病原性大腸菌O157が猛威を振ったり、最近では狂牛病や炭疸菌の不安の恐怖に悩まされていますが、むかしは、疫病の流行は大災害でした。この災厄の発生を政治的に失脚して処刑された人の怨みによる崇りであろうと考え、はじめはこの御霊をまつったのですが、怒りは治まりませんので、より強い神仏が求められたのです。この怨霊(御霊)を退散せしめることができるのは、素戔嗚尊のような、偉大な神格の神に頼るほかないと、祇園社に祀られているこの神に祈ったのです。
 怨霊は御霊(ゴリョウ)といい、これを退散させる祭りを御霊会(ゴリョウエ)と称し、貞観7年(865)6月7日にも行われたことが『三代実録』に記されています。

とありますから、それ以前より随分盛大に行われていたことと察せられますが、祇園社の名ではっきり記されているのは『祇園社本縁録』で、貞観11年(869)6月7日のことです。神泉苑に矛66本を立て、祇園社から神輿を送ったとされています。これが祇園祭のはじめでした。

各山鉾町の家々では、各時代の秘蔵の屏風や書画などを山鉾参観者を迎えるために飾られており、これも見て廻るのも楽しみのひとつである。
京都町衆のたゆま努力により、千有余年にわたり引き継がれている祇園祭は、まさに京都が世界に誇る貴重な文化遺産である。

 

蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)
八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔鳴尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来之子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。
その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来之子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。また7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内「疫神社」において「夏越祓」が行われ、「茅之輪守」(「蘇民将来之子孫也」護符)と「粟餅」を社前で授与いたします。このお祭をもって一ヶ月間の祇園祭も幕を閉じます。

 

還幸祭(24日)

 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/movienews/2005/20050724gion_kankousai.asx

山鉾巡行動画(17日)

 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/movienews/2005/20050717gion_junkou2.asx

 日和神楽(16日)

 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/movienews/2005/20050716gion_hiyorikagura.asx

 宵山露天神山(16日)

 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/movienews/2005/20050716gion_yoiyama2.asx

岩出山曳始め(13日)

 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/movienews/2005/20050713gion_hikizome_iwato.asx

 

 

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