さいきん他人のことに無関心という人が多くなったきがする 自分のことで精一杯ってこともあるのだろうが、自分は自分。他人は他人。 そう割り切ってるのもあると思う 不注意で私にぶつかりそうになった部下が何も言わずにその場を去っていった 一声掛けてもいいものだろうと思うのだが本人は失礼したとも思ってないようだ また別のところでは、恋人と外出する時間待ちしてた友達と電話で会話していたが 突然電話が切れたので掛け直しても繋がらないことがあった たぶん外出してたんだろうと思っていたが何か釈然としない そのことを後で友人に話したら、「ごめんなさい」と謝ってくれたが 同じようなことは続いてる また別な事例では部署のごみ袋の中に紙ごみと発砲スチロールが一緒に 捨てられていたのを見つけた 何人も気づいていたのに誰もそれを可燃と不燃に分けようとはしない 例えばごみ捨て禁止の場所に大量にごみが捨てられてたら 自分達もここにごみを捨てってもいいかとなるのかもしれない どうでもいいことだから気づかないのか? 気がついてたが気がつかなかったことにしよーなのか? 空気が読めないのか、空気を読もうとしないのか何ともわかりません
言霊(ことだま)
日本には古より言葉には霊力が宿ると言われてきた
声に出した言葉が現実の事象に影響を与え、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が訪れると言われてる
しかしながら昨今のご時勢を見てみると言葉というものに何か重みがなくなったように感じる
SNSでは言葉の代わりに文字によってコミュニケーションを取るわけだが
その文章においてもどれだけ心情を込めて相手に書いているのか甚だ疑問である
手紙でやりとりしていた時代は簡素な中にもどれだけ相手に自分の気持ちを伝えようか熟考したものである
ラインなどのやり取りの中で相槌だけで返事してる人や絵文字だけで会話してる人を見かけると時々意味あるのかな?と思ってしまう
ただの暇つぶし程度ならいいかもしれないが、相談などの場合どれだけ相手に真意が伝わったのか不安になったりする
言葉は時代とともに変化するものだが、「伝える」「伝わる」はずっと変わらないものだと思っているのでこれからも大切に心がけていきたい
さらにいえば言葉だけじゃなくちょっとした思いやりや、ちょっとした気遣いもあると尚気持ちが伝わりやすいのかもしれない
100の文章のやり取りをするよりも、1の会話のほうが私は好きだ
我想ふ
柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君
ふと与謝野晶子のこの歌を思い出しました
私の場合は 柔肌の熱き血潮に触れもせず寂しからずや道を行く僕
ってところですかね(笑)
たくさんの露店が並ぶ神社のお祭りに二人で出かけても、自分は腕組みして
彼女を気遣いつつ人垣を避けつつ一緒に歩くだけなんだろうなと・・・
ふとした想い
地震と同じで恋愛も揺り戻しってのがあるのかね?
恋人や好きな人との仲に不安を覚えた時 つい別な人に心が動いてしまい
これではいかんと本命に戻っていくってことって・・・
昔の思いで(恋愛について)
気が付いたら8時間も『恋愛』について話してた
相当心に溜めていたのかな?
ふと、10年前の私と似ているなと思いだして このブログを読み返してみた
今から10年前ごろ当時19歳の女の子とお付き合いをしていた
その子は外国人で恋愛経験もなく、私が初めて好きになった人だったみたいです
日本語を勉強することで知り合い、交流を深めていく中で
いつしか好意を持つようになったそうです
いつしか日本に留学することを夢に持つようになり
そして、実際に日本に留学するようになったわけです
その子は当時私だけをみてて、愛は永遠と疑うこともなく思ってようです
そんな彼女に対して、私は愛おしさと健気さで彼女に答えていたんだと思います
「このままいったら二人は結婚かな?」と嬉しそうに話す彼女に
「どうだろうね・・・」と笑顔で返すのが精いっぱいでした
ふたりが異国人である事や、18歳も年齢が離れていたことが
私の中に「結婚」というリアリティーは無かったとおもう
むしろ彼女の方が魔法から覚めて、現実に戻ったら離れていくような気がしてた
だから私としては、それまでの間に、たくさんの思い出と
たくさんの経験させてあげて、素敵なレディーになって送り出してあげたいと思うようになってた
昨日友達と色々話していて、もしかしたら相手の彼氏さんもそうゆう心境なのかな?
ふと思ったわけです
久しぶりの帰省
名古屋発の新幹線で東京まで、そこから宇都宮まで更に移動
正直しんどい。最近は仕事も残業続きで、精神的にも肉体的にも疲労のピークだ。移動中はすぐに睡魔が襲ってくる始末である。その睡魔と闘いながら、お昼前に宇都宮に到着した。
宇都宮から更に北上して、オレの第2の故郷に到着。もう一年ぶりになる。住所変更して免許証の更新を済ませる。街中を歩いていると、ひとつひとつ思い出が蘇る。住んでいた期間は短かかったけど、思い出はたくさん詰まっている町だった。
滞在3時間で足早に宇都宮に戻った、この街にもいろんなエピソードがありすぎる。
お世話になった人達にも挨拶も出来ず、名残惜し。もうこの街に戻って来ることも無いんだろうと、ひとり別れを告げた。
帰りは憔悴しきったように眠りについた。
これで栃木での6年間の生活にピリオドをつけた。それと同時に6年間の思い出にもけじめをつけた帰省だったのだろう
春遠からず
私も若い子と張り合ったせいか、かなり疲れて、終わってから自己嫌悪です。帰宅後はそのまま爆睡してしまって、18時間も寝てしまいました。